沢庵宗彭横一行書 雲収山青たくわんそうほうよこいちぎょうしょ くもをおさめてやまあおし

  • 江戸時代
  • 17c
  • H-28.2 W-91.5

沢庵宗彭(1573~1645)は但馬出石(兵庫県)の生まれ。大徳寺の春屋宗園に参じて慶長9年(1604)沢庵の道号を授かり、同14年(1609)大徳寺153世となった臨済宗の僧である。寛永4年(1627)にいわゆる紫衣事件による配流後、許されて江戸に留まり、将軍家光、柳生宗矩らの帰依を受けて、品川東海寺の開山となった。沢庵は在京中に小堀遠州から茶の湯を学び、烏丸光広や松花堂昭乗らと親交をもった。「雲収山青」は本来「雲収山嶽青」という禅語で、煩悩を雲に喩えて悟りの境地を表したものといえるが、沢庵はそれとわかって山嶽を山一字のみに変えて揮毫している。