ライオンと牡牛形容器らいおん おうしがたようき

  • 前アケメネス朝ペルシア
  • 前8ー前6世紀
  • 紀元前8世紀-前7世紀
  • 銀、金
  • H-14.7 D-9.5 W-24.5
解説(開館1周年記念展)

この銀製容器に表された、ライオンと牡牛が組合わせられた意匠は古代オリエント世界では古くから存在しました。この牡牛は後ろから背中にライオンが喰いつき、前脚の片方を前方に延ばし苦悶する様子をあらわしているかのようです。しかしこの首を真っ直ぐもたげしっかりと見据えた面もちは背中のライオンをものともしていないようにも見えます。古代オリエントの人々は季節の変わり目を星座の運行で知りましたが、新年の変わり目、春分頃の日没直後の夜空に獅子座が牡牛座を追いかける様を見てその徴としたという説があります。この容器もそのような獅子座と牡牛座の組み合わせの暗示であり、新年をあらわしたものとして年間の重要な儀式に使われたものだったのかも知れません。牡牛の頭の四角形の穴から何物かを入れ、鼻と口の穴からふりまいたのではないかとも想像されます。ライオンの後ろ向きの耳、鼻頭の皺、人間の手のように開いた前脚の表現はアッシリアの影響が見られますが、肋骨の表現の変型と思われる背中の特有な畝の意匠や、前脚の×形意匠などには、北西イランから東アナトリアの様式に近いものが見られます。
この容器が作られたと考えられる紀元前8-7世紀頃は、メソポタミアと西イランの国々が入り乱れ、やがて大きくオリエント世界を統一するイラン民族が台頭してきた時代でした。後に紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャが大帝国を打ち立てましたが、その一つの都ペルセポリスの宮殿の浮き彫りにこの容器とたいへん似通った図柄が見られます。彼等はゾロアスター教を信奉し、紀元前500年頃にゾロアスター暦が使われるようになりましたが、おもしろいことにそれ以降はこの図柄は殆ど見られなくなって行ったと言われています。

ライオンと牡牛形容器

 咬みつかれた牡牛はあまりにも堂々としており、むしろライオンが縋りついているようにも見える。この器は宇宙秩序を象徴するもので、火と水を意味したようだ。彼らの秘儀ではこの牡牛の鼻の孔から聖なる液体が撒かれたのであろうか。後のペルシアの都ペルセポリスの宮殿にもこの象徴が使われている。

Vessel with a bull attacked by a lion

The wounded bull is extremely serene, looking more as though the lion was embracing him. This vessel symbolizes the order of the cosmos, as the two animals represent water and fire. It may have been used in a secret ritual where holy liquid was sprinkled through the bull's nostrils. The same symbolism was also used in the palace of the later Persian capital of Persepolis.