儀斧

  • マヤ、おそらくグアテマラ
  • 452年頃
  • 翡翠
  • 高:23.2cm 幅:7.5cm 厚:0.5cm

古代マヤは翡翠など緑色の石を様々な形状に彫琢する石細工に長けていた。この翡翠の儀斧は装身具であり、三枚組で帯から提げられた。儀斧は象徴的なトウモロコシの穂軸で、その緑色はトウモロコシを想起させ、豊穣や成長を暗示した。
この儀斧の表の人物が、マセイ・チャン・ジョパト(都市・フウナトの首長)であると裏面に刻まれた銘文からわかる。彼は、強豪な戦士で超自然の世界との良き仲介者として刻まれており、縛られた二人の捕虜が繋がれている祭壇か括った物の上に立っている。古代マヤは都市国家の集合体で、供犠のための捕虜や領土の拡張を求め頻繁に戦争を繰り返していた。戦争の勝利は重要事であり、最も重要な捕虜とともに自身を描かせることが頻繁にあった。また、マセイ・チャン・ジョパトは神具である儀杖を持っている。マヤの儀杖は蛇を念入りな装飾で表現し、その両端には口が付いている。蛇は超自然の世界との通信を司る仲介者と考えられ、儀杖の両端についている蛇の口や、様々な蛇の口から神々と祖先が出現する。この儀斧ではマセイ・チャン・ジョパトが、人間の形で蛇の足を持つ幼形ジャガー神(守護神)に懇願している。重要な儀式では、祖先と守護神の霊をよんで懇願する。
この儀斧の裏側のヒエログリフの銘文は、マセイ・チャン・ジョパトが、第九バクトゥンの終わりにあたり重要な儀式を取り仕切ったことに触れている。1バクトゥンは400年の期間を表し、その第九番目の期間は西暦435年に終了したのである。更にこの銘文には、彼が6年後にこの儀斧を刻ませ、その1年後の452年に亡くなったことが述べられている。彼の死が記されていることから、この銘文は子孫によって付け加えられたものである。マヤを始め古代メソアメリカの人々にとって、首長の肖像は生きており、そこに描かれた人物や神の霊力の幾分かを体現していた。従ってこうした儀斧は、子孫には、大切な家宝であった。

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