祭礼図屏風さいれいずびょう

  • 江戸時代
  • 17c
  • 六曲屏風一隻、紙本金地著色
  • H-108 W-309.5
かざり 図録解説

祭礼図屏風(二条城行幸) かざり 図録解説

 本図は、その内容から後水尾天皇の二条城行幸(寛永三年・一六二六)を描いていることがわかる。行幸は徳川秀忠、家光の招きにより行われたもので、幕府の力を世に示す絶好の機会となり、実際、京都の人々に強い印象を与えたようである。それは、京都の市中の賑わいを描く洛中洛外図にこの行事が描かれたことでもわかるだろう。本作もそうした洛中洛外図屏風の左隻で、右隻はおそらく祇園祭礼図であったと思われる。
 本図左上に描かれる堀を巡らした石垣と門が二条城である。『徳川実記』によると行列は御所を出て、東洞院通を北上し、中立売通(正親町小路)を西に向かい堀川通を南下している。つまり、画面を左から右に横切るのが堀川通であり、画面一・二・三・四扇下部が御所になろう。
  『徳川実記』を参考に本図を見ていくと、正に二条城に到着する三台の牛車は先頭から徳川家により後水尾天皇に嫁いだ中宮和子、ついで後水尾天皇の母・中和門院が続く。その後ろの牛車は、前二台の御車に比べて装飾されており、これには中宮和子の息女・女一宮興子内親王が乗る。内親王は、この三年後の寛永六年には明正天皇に即位しており、この屏風が描かれるときに配慮しているのかもしれない。その後ろにいよいよ天皇を先導する列が始まる。本図では、身の回りの道具を運ぶ一行についで舞楽装束を身にまとった一行が音楽を奏しながら二列に続き、その後ろに太鼓・鉦鼓(しょうこ)が続く。この順序は『徳川実記』と逆になっている。ついで、赤衣に戈を持つ二列の「隼人兵士」の行列が続く。その後ろには騎馬の公家が続き、天皇の乗る鳳輦(ほうれん)は御所の門を出たばかりである。しかし、鳳輦には鳥居が付き、祭礼の神輿(みこし)のように描かれており、この屏風の制作背景や年代を想定するヒントになるかもしれない。