柳橋水車図屏風 伝 長谷川等伯筆りゅうきょうすいしゃずびょうぶ はせがわとうはく

  • 江戸時代
  • 17c
  • 六曲屏風一双、紙本金地著色
  • H-170.5 W-347

 本図は、伏見城御殿を華やかに飾っていた、いわゆる「桃山百双」と呼ばれる意匠性に富んだ金屏風に倣って作られたとされる柳橋水車図屏風である。量産されたらしく、同じ図柄の屏風がいくつも伝わっている。川に架かる橋は緩やかに湾曲し、画面左の水面には水車と蛇篭が配され、画面右上には月が浮かぶ。右から左に進むに従って生長する柳葉は、春から夏への季節の移ろいを表す。宇治川屏風にその起源が求められると考えられることから、金地の華やかな屏風は装飾性だけではなく、極楽浄土への希求が表現されているといえよう。

長谷川等伯

 天文8~慶長15(1539-1610)。
桃山時代の画家で、長谷川派の祖。石川県(能登)の七尾に生まれる。30代中頃までは信春と名乗り、主に仏画を描いていた。「枯木猿候図」(京都 竜泉庵)のような牧谿様や、智積院の大胆な金碧障壁画などスタイルの異なる様式を次々と自らのものとした。中でも「松林図屏風」(東京国立博物館)は、日本水墨画のひとつの頂点とされる。慶長4年(1599)本法寺に大涅槃図を描き、「雪舟五代」と自称した。晩年は枯れた印象の粗荒な筆致の作品が多くなる。