埴輪 四注造家はにわ 4ちゅうづくや

  • 古墳時代
  • 6-7c
  • 粘土
  • H-79 D-34 W-29.8
「はにわ」ってなに?

 はにわは、日本で作られた素焼(すやき)の土の製品(せいひん)です。厚手(あつで)で柔らかく、水を吸う性質(せいしつ)の土でできていて、赤みをおびた明るい色合いで焼かれたものがほとんどです。死者(ししゃ)を埋葬(まいそう)した古墳(こふん)に、飾りとして立てておくためだけに作られました。
 はにわの中身(なかみ)は空洞(くうどう)になっています。ろくろや型(かた)を使わずに紐(ひも)や板のようにした粘土(ねんど)をつなぎ合わせて形づくられています。そして立てやすいように、下の部分は円筒形(えんとうけい)に作られています。

埴輪 靱 埴輪 水禽 埴輪 こども頭部 埴輪 男性頭部 埴輪 武人頭部 埴輪 男性半身 埴輪 猪 埴輪 踊る女性 埴輪 鳥 埴輪 円筒

いつごろ作られたの?(はにわの時代)

 はにわは、古墳(こふん)時代に作られました。古墳時代は今から1700年くらい前の3世紀ごろからはじまり、その前の弥生(やよい)時代につづいて、古墳が盛んにつくられた時代なのでそう呼ばれています。その時代には邪馬台国(やまたいこく)のような統一国家(とういつこっか)が近畿(きんき)地方を中心に起こりました。中国(ちゅうごく)や朝鮮(ちょうせん)など、当時先進国(せんしんこく)であった大陸(たいりく)の影響(えいきょう)を受けて文化も大きく発展(はってん)し、聖徳太子(しょうとくたいし)などが登場する次の飛鳥(あすか)時代の基礎(きそ)が築(きず)かれました。古墳時代はふつう、前期(ぜんき)(3~4世紀)、中期(ちゅうき)(4~5世紀)、後期(こうき)(5~6世紀)の3つに分けられます。
 はにわは古墳の周囲(しゅうい)の配(はい)される目的(もくてき)で作られたので古墳の造営(ぞうえい)と深(ふか)い関係(かんけい)があり、古墳時代の前期から発達したとされています。

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はにわの伝説(でんせつ)、起源(きげん)

 「日本書紀(にほんしょき)」に、垂仁天皇(すいにんてんのう)についてつぎのようなことが書かれています。

 当時(とうじ)、昔(むかし)から行われていた生きながら死んだ人とともにその関係する人を埋(う)め立てる殉死(じゅんし)の風習(ふうしゅう)の悲惨(ひさん)なようすに、天皇はたいへん心をいためられていました。同天皇32年の7月に皇后(こうごう)の日葉酢姫命(ひわすひめのみこと)が亡くなられたとき、天皇は殉死に代わる何かいい方法はないものかと家臣(かしん)に聞かれました。その時、野見宿禰(のみのすくね)という者が「殉死の習慣(しゅうかん)はよくないし、後の世に伝えるべきではない」と、出雲(いずも)の国から土部(はじべ)を100人よんで、自ら指揮(しき)して、埴土(はにつち)をとって人や馬、いろんな物を作らせ、「これからはこの土物を生きた人の代わりに墓(はか)のまわりに埋めるきまりとするべきです」と申し上げました。天皇はたいそう喜び、早速(さっそく)そうせよと命令(めいれい)して作らせました。それ以後、土で作られた人や馬、物のはにわが墓に立てられて、人の命が失われることはなくなりました。

 日本書紀にでてくるこの話がはにわの起こりとされているのですが、考古学(こうこがく)上の発掘例(はっくつれい)とは年代が違うことから、現在ではこれは事実ではないとされています。ただ、「埴輪(はにわ)」という名はこの記述(きじゅつ)からきています。
 弥生(やよい)時代後期の墓には、底に穴の空いた素焼(すやき)の壺形(つぼがた)の土器(どき)が供(そな)え物として埋められた例がみられます。その土器の形などから筒形(つつがた)のはにわが生み出されたと考えられています。そして、古墳の発生(はっせい)とともにそういったはにわがその周囲にめぐらされることが定着(ていちゃく)していったことを考えると、死者(ししゃ)を葬(ほうむ)った場所を聖域(せいいき)として区切る意味に死者の魂(たましい)をまもるという呪術(じゅじゅつ)的な意味あいとが加わって発達(はったつ)したということができます。

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はにわの種類(しゅるい)

 はにわは大きく分けて、円筒(えんとう)はにわと形象(けいしょう)はにわがあります。さらに形象はにわには、家屋(かおく)、器財(きざい)、動物(どうぶつ)、人物(じんぶつ)をかたどったものがあります。動物はにわには、牛や馬、犬、猿(さる)、猪(いのしし)、鳥、魚(さかな)などが見られます。
 鶏(にわとり)や水鳥(みずどり)は早くから作られ、後半になるにしたがって人物が多くなってきます。また東日本では、近畿地方では衰(おとろ)えていった6世紀ごろに人物や動物のはにわが急激(きゅうげき)に発達しました。

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家形(いえがた)はにわについて

 家形のはにわには、いろいろな形の家が見られます。多くは住居(じゅうきょ)ですが、倉庫(そうこ)もあり、窓(まど)、入口(いりぐち)、壁(かべ)、床(ゆか)など、季節風(きせつふう)が吹(ふ)いて湿度(しつど)の高い日本の気候風土(きこうふうど)に合った構造(こうぞう)は、現代の私たちの住居とあまり違いは感じられません。
 この家形はにわの屋根(やね)は、軒先(のきさき)がほとんど出ていません。この屋根の形は風の強い地方か、雪の多い地方によく見られます。屋根には連続(れんぞく)する三角文が施(ほどこ)され交互(こうご)に朱(しゅ)が塗(ぬ)られています。また頂上(ちょうじょう)には4本の堅魚木(かつおぎ)が乗(の)せられています。このような家形のはにわは、死者(ししゃ)の魂が帰ってきたときのやすらぎの場として作られたもののようです。