持国天立像じこくてんりつぞう

  • 平安時代末~鎌倉時代初 12世紀
  • 木造彩色
  • 高さ:170.7cm
  • 重要文化財

仏像彫刻も、平安時代末には優美な姿がもてはやされますが、鎌倉時代には一転して、写実的で力強い尊像が、生み出されました。
四天王は仏法を守護する護法神で、須弥山の中腹、東西南北の四方に住する武神とされ、持国天はその内の東方世界を守護する神とされました。この持国天立像はもともと、藤原氏の氏寺たる興福寺に伝来した一具の四天王像で、表面を彩色仕上げとし、肌は本来緑青色を呈していたことが、顔部や指などから看て取れます。甲冑を身につけているにもかかわらず骨太で隆々たる肉付きの体躯、短頸・瞋目(しんもく)の形相は重厚感に溢れています。瞳を別材で貼り付けることで、さらに忿怒の威相が強められ、動きの少ないポーズとも相まって、圧倒的な存在感を呈しています。脚下に踏みつけられる邪鬼の表現も見事です。本像は、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治初期、益田鈍翁によって救われた仏像のひとつでもあります。

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