牡鹿型リュトンおじかがたりゅとん

  • ギリシア
  • 前4世紀頃
  • 青銅
  • 高:37㎝

このリュトンは牡鹿の前半身をその先端に作り出し、器口から入れたワインはその胸につけられた注口から迸り出るようになっている。鹿の体躯は、アケメネス様式とは違い全く筋肉表現は見られないが、これは前5~4世紀ギリシアの青銅製鹿小像の特徴でもある。これらは多くの場合奉納像であり、捧げられた生気漲る若い鹿を表わしていたのであろう。この器の鹿の両目は右に巡らされており、全体の静謐な雰囲気に唯一動的な表情を与えている。その滑らかな胴部の形状を、そのまま何の違和感もなく上部の角杯に変容させており、類まれな造形感覚と卓越した技術を物語っている。
このリュトンに見られる脚を前にそろえる鹿の姿はギリシア陶器に古くから描かれて来た、狩られた鹿あるいは捧げられた鹿の図像に通じている。これらは狩猟の女神アルテミスや酒の神ディオニュソスに伴う図像であるが、このリュトンにもこれらの神々の信仰との何らかのかかわりが窺われ、ギリシア文化の深層に織り込まれた生命を司る獣の主人のイメージをも想起させる。このリュトンの鹿角は頭頂から一本で立ち上り、耳の先端の高さ付近で二股に分かれているが、個々に頭部から生える自然の角とは異なる神秘的な造形である。恐らくこの角の構造は植物を念頭においたものであり、毎年生えかわる生命力の象徴である鹿角と聖樹の心象を重ねたものだったのではないか。もう一つ注目すべき点は、このリュトンの喇叭状に開いた器口の内側に漆喰のような地塗りとその上に赤い着彩がなされていることである。これは元来このリュトンは実用のものではなく、葡萄酒を満たした器をイメージした副葬品あるいは奉納品として造られたものだったことを想像させる。このリュトンには、鹿角の造形に象徴される魔除けとしての聖樹の生命力と、ワインを思わせる器内部の赤い彩色に象徴される、死後の楽園での饗宴に与る願望が込められていたのではないか。

ギリシア・ローマ一覧へ