宝飾品ー腕輪、トルク、イヤリング、首飾、指輪印章他ほうしょくひん(うでわ とるく いやりんぐ くびかざり ゆびわいんしょう)

  • イラン
  • 紀元前6世紀-紀元前4世紀
  • 金、貴石
ペルシャのはじまり

紀元前7世紀末から6世紀初頭にかけて、メソポタミアの最大の帝国アッシリアとその最大のライバル、ウラルトゥは、あいついで北西イランのメディアと南メソポタミアのバビロニアの同盟勢力のもとに降り、更にそのイラン系メディアは西アジア世界を初めて統一する大帝国となりました。

イラン系メディアは程なく東南イランの大きい同盟勢力であったイラン系ペルシャに取って替わられ、アケメネス朝ペルシャが立ちました。

紀元前8-7世紀のこの混沌とした時代を通じて、これらメディア、ペルシャなどのイラン民族は好戦的な神々を仰ぐ伝統的な宗教から、秩序と正義そして平和をもたらす世界の救世主をあおぐゾロアスター教に急速に転向して行きました。

彼らは世界を善悪の対立としてとらえ、最終的に善の勝利としての審判が到来するとする終末論から、現実の世界の変容を求めました。

それは絶対善の創造神アフラ・マズダーのもとに統一された世界、アフラ・マズダーから多くの者の中の唯一の王となされた王を頂く巨大帝国をつくりあげることであったと言えます。

Mary Boyce/ A History of Zoroastrianism/ Leiden I- 1996-172ff. , II- 1982- 105 ff.

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帝都建設の銘文

――そして此は私がスサに建てた宮殿。その資材は遠方より齎された。地面を地中の岩盤まで深く掘り下げた。土を取り除くと砂利が敷き詰められ、あるところは40キュビットあるいは20キュビットに達した。宮殿はこの砂利の上に建てられたのである。地中深く掘り、砂利を敷き詰め、泥煉瓦を作る―――――これら全ての作業はバビロニア人が行った。 杉材はレバノンの山からアッシリア人がバビロンまで運び、カリア人イオニア人がスサまで運んだ。シッソ材はガンダーラとカルマニアから、ラピス・ラズリ、カーネリアンの準貴石はソグディアナから。トルコ石はホラズム、銀とエボニー材はエジプト、壁の装飾はイオニア、象牙はエチオピア(クシュ)やインドそしてアラコジア、石柱はエラムのアビラドゥから運ばれた。石職人はイオニア人、リディア人。金細工師、象嵌細工師はメディア人、エジプト人。バビロニア人は煉瓦を焼き、メディア人、エジプト人は壁を装飾した。 このスサにすばらしいものを建てんとし、すばらしいものができた。願わくばアフラマツダの神が私、父ウィスタシュパそして我が同胞をみそなわし賜わんことを。

Walter Hintz/ The Elamite Version of the Record of Darius's Palace at Susa / 1950 Journal of Near Eastern Studies Vol.IX No.1

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