天治本万葉集巻第十断簡(仁和寺切)
- 平安時代
- 12c
- 紙本墨書
- H-27.3 W-9.1
- 所蔵
- 仁和寺伝来
天治元年(1124)に書写された万葉集であることからその名があり、「天治万葉」ともいう。もとは二十巻本であったと思われるが、巻二、十、十三、十四、十五の5巻のみが伝わり、巻十三のみが完本である。この断簡はそのうちの巻十で、京都の仁和寺に伝えられていたことから「仁和寺切」と呼ばれる。もと巻子本で、仙花紙という料紙の上に真名一行、次に仮名一行半で歌を書く。もともと天治本万葉集は学問上の必要から書写されたものであるため、調度や手本としたもののような料紙や筆跡の華麗さはないが、天治または大治の書写年月が記されているところに大きな意義があるといえよう。五大万葉のひとつに数えられる。筆者は藤原忠家といわれるが、没年からすると天治万葉の筆者ではない。
和歌
平安時代から鎌倉時代初期にかけての和歌などのかなの書は古筆(こひつ)と呼ばれます。本来は古人の筆跡を意味する言葉でしたが、いつの頃からかそう呼ばれるようになりました。王朝文化の精華ともいうべき古筆は、茶席の一幅として、国文学の文献として、そして学書の規範として、非常に価値の高いものといえます。
文保百首断簡(伝亀山天皇筆)
元暦校本万葉集
続古今和歌集断簡(六帖切)(伝藤原行成筆)
麗花集断簡(香紙切)(藤原公任筆)
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春日懐紙(中臣祐方筆)
桂本万葉集巻第四断簡(栂尾切)
新古今和歌集断簡(伏見天皇筆)
読み下し
旋頭歌
春日在三笠乃山尓月母出奴可母佐紀山尓開有桜之花乃可見
かすがなる みかさのやまに つきもいでぬかも さきやまにさけるさ
くらのはなのみゆべく
過 霞
白雪之常敷冬者遇去家良霜春霜田菜引野辺之鴬鳴焉
しらゆきの とこしくふゆは すぎにけらしも はるかすみた
なびくのべのうぐひすなくも