織部火入おりべひいれ

  • 岐阜県・美濃窯
  • 桃山~江戸時代
  • 17c
  • 美濃陶製
  • H-11.1 D-7

 志野、黄瀬戸は天正年間から文禄、慶長の前半にかけて盛んに焼かれたが、織部焼は慶長後半から元和、寛永にかけて大量に焼かれた。織部焼の中心をなすものは緑釉にかかった青織部で、それらの創意工夫は美濃窯としての志野や黄瀬戸の流れをくむものといえる。織部焼がその自由奔放な装飾性を多彩に展開したのは、志野と同様、食器の分野においてである。この作品は白い胎土に鉄絵具で文様を描き、上から長石釉をかけ、その一部に緑釉を施した最も一般的な織部焼で、いわゆる青織部といわれるものである。5客あるいは10客の筒形向付であったと想像されるが、1客しかなかったのか火入として伝わっている。口縁部からたっぷりとかけられたやや青みがかった織部釉が美しい。

美濃焼(みの)

美濃国(現在の岐阜県)の東部地域(東濃地域)で生産されるやきものの総称。その起源は奈良時代の須恵器窯にまで遡り、室町時代末期に瀬戸の陶工たちが美濃に移住していわゆる美濃物と呼ばれる桃山陶器が焼き始められたとされています。


青織部沓向付 織部瓢絵四方鉢 志野芒文鉢 黄瀬戸鉦鉢 黄瀬戸輪花向付 織部切落向付 鼠志野向付 志野四方向付 黄瀬戸輪花向付 織部茶入 志野傘車輪文平向付

織部(おりべ)

桃山時代の武将で千利休門下の茶人・古田織部(ふるたおりべ)の好みで焼かせたといわれる美濃窯の陶器です。文様や器形に独特のひょうげた意匠と織部釉と呼ばれる濃緑色の釉がその代表的な特徴で、その他黒織部や美濃伊賀など数種のタイプがあります。


青織部沓向付 織部瓢絵四方鉢 織部切落向付 織部茶入